都道府県 宮城県
助成額 3,000,000円
活動開始日 45292
活動終了日 45382
助成金で行った活動の概要
■令和6年1月1日
能登半島地震が発生してすぐ支援に入る事を合意。令和5年地震の際に珠洲市へ入り支援を行っていた経緯が大きかった。
■1月2日~11日
2日災害対応協議
6日先発隊のリストに基づき物資食材を積み能登半島へ
東日本大震災の際に石巻で支援実績のある木下工業に協力を要請。
空き巣対策として玄関や窓を塞ぐ作業を展開。
避難所支援が必要と判断し金沢市内に物資拠点設置。
支援物資のニーズ情報が鮮度が命であり、タイムラグがあると他の支援者が持ち込んだ物資を優先して受け取るため、受け取ってもらえない物資種類も多く、他県から物資輸送はマッチング率が非常に低くなると判断。
8日からは金沢市内まで降り、量販店での買い物
渋滞が始まる前の翌朝5時に金沢を出発し5時間かけ珠洲市まで物資を持ち込み配布。
お昼頃には金沢へ向かい、夕方には聞き取った物資ニーズを量販店でまた購入する。といった流れ。
10日まで金沢市→輪島市→能登町→珠洲市→金沢市を毎日往復し、刻一刻と変わる避難所やNPOのニーズに対応。主な物資の内容は食料品、生活用品、ストーブなどが中心
■17日~31日
物資輸送リーダーとして岩田が能登半島入りし、支援物資の管理、人員配置、自らドライバーも行い、避難所などへの物資コーディネートを担当。岡嶋が金沢→珠洲への運搬を担う。被災者雇用の日詰が珠洲市内で各避難所やNPOなどへ物資を運搬。
主な物資の内容は食料品、衛生用品、肌着、下着など
物資需要が高く、シフトを組んで1日も休むことはなかった。
■2月
主な物資配布の内容は避難所や各NPO団体などのニーズに基づき購入、Amazon欲しいものリストで後方支援者から送られた物資を継続的に運搬し2日に一度は金沢⇔珠洲の定期便を運行。スタッフの安全と1日1往復の運搬実現には苦渋の選択だが輪島市はコースから外す。珠洲市にも物資倉庫としてプレハブを建設
■3月
商店も開店し避難所からの物資ニーズが減少。だが、炊き出し団体の活動は縮小の兆しが見えない。ふうどばんく東北AGAINと食材の確保を継続的に行い、運搬を行う。
姉妹団体のBIG UP大阪への水の運搬や復旧作業などに用いる可能性もあり、ダンプ車両を借り上げ在宅被災等へ水の運搬や物資の運搬を連日行った。
活動日数 90日
支援対象者実人数 2,000人
支援対象者延べ人数 6,000人
参加ボランティア実人数 9人
参加ボランティア延べ人数 100人
本助成金による活動の成果
今回の災害は地理的な悪条件。そして、地震による家屋の倒壊、津波、土砂崩れ、停電、断水、物流と交通網の不全など様々な要素が折り重なり、支援する側もされる側も大変困難な状況下に置かれている。ここ数年の災害とは別次元の被害状況であり、20年に一度の規模の支援が必要な災害だと感じている。
支援団体としては見切り発車で活動を展開し、お金も飛ぶように出ていく。一本頭のねじを抜いて不安をかき消し、後先考えず活動しなければ救える人も救えなかった。
それくらい逼迫した状況下では、さまざまな支援の形が求められており、どんな支援であろうと正解は数多く存在していた。東日本大震災から災害支援に関わる様になり、活動の原点が被災された方のニーズに基づいた物であるだけで正解と言える活動となったであろう。
そんな中で、当団体では「交通網の不全」というところに着目し、ニーズを吸い上げることが重要だという考えの基活動を展開した。これまでの活動の中で繋がりのある他NPOとのネットワーク、ニーズに呼応するためのスピード感、SNSでの発信力、選別を行い物資収集能力、時に大胆に使うことができる資金力などが必要であった。資金に関しては発災当初より募った寄付金が300万円を超えた。これは、能登半島に行きたくても行くことができない方々の想いと、東日本大震災の最大の被災地である石巻からの暖かい支援があったからである。しかし、採択が決まるまでの期間は長く、耐え忍んだが中央共同募金会ボラサポの存在は、抜けかけていた頭のねじを少し締め直してくれるような心の安定剤として存在していた様に思える。この度、第二回応募で300万円の満額で採択が決まり、息の長い活動が担保されたと考えている。混乱を極めた3ヶ月間を経てこれからが能登半島地震支援のスタートラインに立った感覚です。みなさんからのご支援を能登半島の復興の一助となる様な活動で100%還元させていただきたいと思っています。
家屋の修繕:12件 空き巣対策、耐震対策、内壁の壁貼りなど
物資供給:約60往復の金沢??能登半島の避難所やNPOやボラセン
支援者相談マッチング:約50の団体や企業などの支援をつなぐ
支援者育成:4団体の中長期的な支援体制への協力と助言など
事業を実施する中で見えてきた課題と今後の取り組み
3月中旬になり珠洲市では店舗が再開、買い物ができる様な環境となり、支援物資の供給に関してはクロージングの方向に舵を取った。
SNSや報道では「ボランティアが少ない」「支援が足りていない」という様な趣旨の情報を目にすることもあり、現地に入っている者とすれば、背景はそんな単純なことではないのは理解できていた。ボランティアの宿泊場所を作ろうが、重機を増やそうが、物を運んでも解決できることは一過性であり多くない。復旧や整備が行われるたびに沸き起こる新たなニーズ、刻一刻と変わりゆくフェーズ、その中で普遍的だったものが2次避難者の足の問題だと感じた。
現地の災害ボラセンの残ニーズを伺った際、在宅被災者や現地避難所の方のニーズは概ね対処済み、2次避難者の抱えているニーズは日時指定が多くマッチングの調整に苦労していると聞く機会があった。
そもそも今回の地震ににより運行ができていたかどうか定かではないが、奥能登への公共交通機関である電車は2005年に廃線となっており、金沢とのバスは一日3本しか走っていない。
運賃に関しても片道2,750円で往復すると一人5,500円の費用がかかってしまう。
自宅の片付けや、行政への手続き、ボランティアの立ち会いなどのために、、仮設住宅への入居、家族や親戚などを頼り、バスを利用したとしても宿泊施設が機能していないため、日帰りを選択するしかない方も多い。費用対効果としては最悪である。
そこで、当団体ではこれまでの活動経験と資源を流用できる取り組みとして、4月17日より支援物資を運ぶのではなく、2次避難者やみなし仮設住宅に入る方々を運ぶ事業を実施している。
無料で、日時指定可能で、車がなくても、免許がなくても、奥能登へ向かうことができ、簡易的なプレハブ施設ではあるが宿泊することができる施設も準備した。
これによる受益者は利用者はもちろん、送迎を強いられるご家族、災害ボランティアセンターのマッチング率の増加、派遣されるボランティアも増加させる一助となれる。
特に災害ボランティアセンターは新設された仮設住宅の見守りなど、孤独死や関連死などに結びつくであろう喫緊の課題が差し迫っており、新たなフェーズに向けて走り出す必要があり、災害ボランティアセンターをクロージングしたい意図も感じられる。
助成決定した活動を報告したSNSやホームページのURL
https://www.facebook.com/BIGUPishinomaki
https://www.big-up-ishinomaki.jp/
寄付してくれた人へのメッセージ
当団体独自の寄付金も300万円を超え、能登半島に行きたくても行くことができない方々の想いと、東日本大震災の最大の被災地である石巻からの暖かい支援があったからだと考えています。
発災直後から、目の前の方々を救う一心で資金を注ぎ込み支援活動を展開してきましたが、中央共同募金会ボラサポの存在は、心の安定剤として存在していた様に思えます。
この度、第二回応募で300万円の満額で採択が決まり、独自で集めた300万円超の活動資金も手元に戻る様な形になり、改めて息の長い活動が担保されたと考えています。
混乱を極めた3ヶ月間を経てこれからが能登半島地震支援のスタートラインに立った感覚です。みなさんからのご支援を能登半島の復興の一助となる様な活動で100%還元させていただきたいと思っています。